2015-01-17
阪神淡路大地震から20年経った。
本当は今日、これを書こうかどうか迷ったのだけど、一応書いておこうと思った。思い出して列記。
当時私は北大阪は、千里ニュータウンの古い11階建てのマンションに1人で住んでいた。
あの日、前日までの連休を使って長野あたりまで2泊3日でスキーに行ってた。向こうも帰り道もすごい大雪で、家に帰り着いたのは日付変更線を超えてから。すなわち17日深夜だった。
そして朝、疲れているはずにもかかわらず、地震が起きる1分くらい前に目が覚めた。で、まだ早そうなのでまた寝ようかと思っている時に、下から突き上げられるような揺れが来た。
その時、とっさに真横にあった食卓の下に潜り込んだら、その後ものすごい揺れが来た。かなり長いこと揺れていたと思う。揺れている間は何も考えられなくて、とにかく頭を抱えて揺れが収まるのを待つしかなかった。
大きな揺れが収まっても、まだずっと揺れている感じが残ってた。どうもマンションがずっと振れているらしい。
机の下から出てまず部屋の中の惨状に愕然とした。あまりにむちゃくちゃなのでもう何をしたらいいかわからなくなってすぐ寝てしまった。
しばらくして寒さで目が覚めた。何時かは覚えてない。ベランダの窓は鍵をかけて閉めていたにもかかわらず、それが揺れで強引にこじ開けられて窓が全開だった。
今度は部屋の状況をちゃんと確認すると同時に、この地震がどれくらいの規模だったのかを確認するためにTVを付けた。
砂嵐。電気は来ているが画像が出ない。
TVは29型で50キロを超えるブラウン管TVであるにもかかわらず大きく動いてた。今から思えばよくラックの上から落ちてなかったもんだと思うが、いずれにせよ、大きく動いたせいでアンテナ線が外れていた。で、それをつないで写った映像にまた愕然とした。
まだ砂嵐か?思ったくらいの惨状。その後も次々と映し出される神戸周辺の様子にまさしく絶句した。(当時勤めていた)会社にはそちら方面に住んでいる友人もいたのでその安否が心配だった。
部屋の中を再確認。
TVを含めステレオは大きく移動している。枕元においてた大きなスピーカーが枕の上に倒れていて、そこにおいてあった目覚まし時計が全壊していた。もし、最初の揺れで机の下に潜り込んでなかったら、そのスピーカーは私の頭の上に落ちてきて即死だっただろう。1本10キロ*2本。ぞっとする。
その他の物も大きく動いていた物も多いが、一方で不安定なはずの細い一輪挿しが全く動かず立っていたのには驚いた。どうも、最初の突き上げ以外はある特定の方向だけに揺れ、それに逆らわないようにあったものはそのようになったようである。
会社に行こうかどうか迷うが、どうも電車は動いていないらしい。会社に電話しようにも全くつながらない。会社どころかどこにも。電話が通じたのは一体いつだったろうか、とにかく当日は休み。
マンションは、エレベーターが止まっていた。この状況がこのあと1週間以上続いたと思う。
で、外に出るとなんか足元がおかしいと思ったら、マンションの片側の地面がせり上がり、段差ができていた。5センチほどか。、マンション自身も傾いていたかもしれない。
大阪は神戸に比べれば比較的被害は少なかったが、庄内から千里〓高槻に至る地層のライン上ではそこそこ被害が出たようだ。千里には実家もあるが、隣の家の石灯籠の上の部分が飛んできて小屋の屋根が抜けたと言ってた。
友人は会社も含め皆無事だった。会社の人はその友人も含め、神戸に近い人もみな無事だったのは幸いだった。
宝塚に住んでいた友人は、家の前後の筋の家は倒壊したが、住んでいる筋だけはなんともなかったそうだ。これもおそらく地層の加減なのだろう。それでも電気・ガス・水道がダメみたいで、特にお風呂が入れないと嘆いていた。当時は大阪駅前ビルの地下に銭湯があったので、会社帰りに入って帰ると言ってた。
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